さとみの日記

毎日書きます。

風と共に去りぬ

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昨日テレビをつけたら、たまたま千葉テレビ*1が選択されていて「風と共に去りぬ」を放送していたので、途中から(スカーレットが妹の恋人を略奪する辺り)だったけど、最後まで観てしまった。

この映画はつい最近まで「名画中の名画」として挙げられることが多かったけど、近年は「人種差別、性差別がひど過ぎる」等の理由でアメリカの配信会社*2から削除されたり、別の意味で注目を集めている映画だ。

観てみると、確かに名画と言われるだけあって、映画自体は大河ドラマ的な壮大さに満ちていて映像も素晴らしい。登場人物もキャラが立っていて、俳優たちがまさに「役そのもの」にしか見えない素晴らしい演技。南北戦争当時の雰囲気も匂うように伝わってきて、いい映画だなぁと思う。

つらつらと書いているうちに長くなったので、ここからは「今の時代と合わないなァ」と思うところを箇条書きにして挙げていこうと思う。

 

他人に犠牲を強いる姿勢

まずはやっぱしスカーレットがアレと言うか…
ワガママでご都合主義で、いつまでも他人のおもちゃを欲しがる子供みたい。たまに泣きわめくシーンがあるが、ほとんどは自分が可哀想で泣いている。ラストシーンでバトラーがスカーレットの至らなさを諭すシーンがあるが、「まさにその通り!」と頷いてしまった。バトラーが呆れて去って行くのも当然である。

スカーレットは生命力にあふれ、かつ実行力もある女性なのであるが、成したことの多くが「他人の犠牲の上に成り立ったもの」。これがもう今の時代と合わない。誰にも、何にも犠牲を強いることなく目的を成す、というのが今の時代のやり方なのであって、これが今スカーレットを観ていてシラける一因なのではないかなと思う。妹から略奪した2番めの夫が死んだときも「夫は私が殺したようなものだわ!」と泣き叫んでるんだけど、観てる側からすりゃ「そりゃ、そうですよね~…」である。
こういう人って、戦国時代の武将の妻とかに良くいたパターンかも(具体例がいま思い浮かばないけど)。

ここまでスカーレットの悪口ばかりになってしまったけど、この話はやっぱり「飢え」と「略奪」と共に生きてきた時代のことであるし、極限状態になった時に生き残るのはやっぱスカーレットなんだよなぁ…としみじみ感じてしまう。
この世は強いものが生き残って、弱いものは死ぬだけなのである。*3

このスカーレットが昔は称賛される存在だった…というのがもう、ピンと来ないですね… 名言とされる「明日、考えるわ」というのもなんか… フーン、そうですかとしか思わない。

長子がいちばんエラいという家制度

スカーレットの妹スエレンはいつも姉の陰に立たされ、恋人まで略奪されてしまう気の毒な境遇の女性である。スカーレットがバトラーと結婚した後に「姉は3度も結婚したのに、私は姉のせいで未だに独身だわ!」と地団駄を踏むシーンがあるのだけど、こういうの昔の日本のドラマにもあったわぁ…とまた懐かしく思ってしまった。(悪態をつきながらもスカーレットに養われて生きている事実も含めて)

なんかこの不自由さは「女系家族」(山崎豊子著で映画化もされています)っぽい。家から認められた「長子」以外は思うように生きられないという、昔の家制度の陰の部分である。

人種差別

そしてこの映画がいま注目されている「人種差別」という点なのであるが、まさに「風と共に去りぬ」は南北戦争の渦中にあって、奴隷制度に反対する北部と奴隷制度の存続を望む南部*4の価値観の違いも描かれている。
どちらにしても黒人の地位は低く、さらに黒人女性なんて、まるで人間として扱われていなかった。この辺りの詳細は映画「カラーパープル」をご覧ください。

この映画でも、綿花畑で家畜のように扱われる黒人農夫たちの描写がある。
そんな中、オハラ家のメイド「マミー」の存在が唯一、差別のない未来への可能性を感じさせる部分であると感じる。

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スカーレットとマミー

マミーは主人たちに臆することなく意見し、三代仕えているだけあってスカーレットたちからの信頼も厚く、個人的な会話も交わす描写がある。第一子が誕生して上機嫌のバトラーからお酒をふるまわれるシーンもある。そう言えば、バトラーは新婚旅行の際、マミーに赤いパニエをお土産に贈っている。奴隷にお土産なんか買うか?いや買わんだろう。
世間的には奴隷の立場にある黒人ではあるけれど、マミーはひとりの人間として、人種を超えた心の繋がりを(家庭内ではあるけど)体現できているように見えた。*5

動物=家畜以外の何ものでもない

この映画では馬が二頭死ぬシーンがある。
頭目は主人公に無理にこき使われたあげく、泡を吹いて死ぬ。そしてそのまま放置される。
頭目は主人公の娘ボニーの愛馬。ボニーが乗馬した際、体に合わない無茶なジャンプを試みたが失敗。その事故が原因でボニーが死亡した際に、娘の父親(バトラー)によって射殺される。(もちろん馬には何の落ち度もない)
二頭とも、ただ死んだ描写があるだけで、(ポニーは「射殺された」との伝聞のみ)慈しみの心は何ひとつ描かれていない。

安心して見ていられるのはメラニーだけ

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聖母メラニー

スカーレットの親友メラニーは登場人物の上流白人の中で唯一、慈愛と慈しみの心を持った女性である。映画の視聴者を含めたみんなの心のよりどころだが… 日本のバブル時代には「鼻もちならない奴」と評する女性も多かった(当時の雑誌とか見ていると、そんなことがよく書いてあった)。本当、バブル時代の女性の集合意識って糞にまみれてたんだなァとしみじみ思う。
メラニーは弱者に寄り添える女性であったが、それは自身が病弱だったこともひとつの要因かもしれない。

その他1

「クラークゲーブル 口臭」で検索

その他2

風と共に去りぬ」の著者マーガレット・ミッチェルの故郷も映画の舞台と同じアメリカのジョージア州。生家やお墓も残され観光名所になっているが、今そこに暮らす地元の人からはめっちゃ嫌われていると何かで読んだ(実際に生家を訪れた人のブログだったと思う)。過去の忌まわしい差別の歴史を思い出し、また美化されているような感じがしてイヤな気持ちになるんだろうな。

 

色々書いたけど、この映画はもう「歴史資料」として切り離したほうがいいと思う。切り離せないから人々の感情を逆撫でし、配信が削除されたりするのだ。もう映画のようなことは行われていないにしても、過去にあったのは事実なんだから、多くの人が資料としてこの映画を観て、色々と感じることが大事だと思う。

*1:千葉テレビと言えば「おとなの絵本」

*2:HBO Max

*3:「強さ」のあり方が時代によって変わっているので、今はこの方法を取らなくても良いのである

*4:スカーレットはジョージア州だから南部

*5:マミーを演じたハティ・マクダニエルの演技は素晴らしく、黒人で初めてアカデミー助演女優賞を受賞した。しかし会場側が「黒人お断り」だったため、ハティ・マクダニエルは共演者と同じテーブルに座ることができず、裏の荷物部屋で控えていたという。映画の中だけじゃなく、現実でもまだまだ黒人差別は横行していた